佐古昭博の徒然’sブログ

“日本人とは何か”を探究するブログです

近代化による明治維新以降と日本人らしさの喪失

第二次世界大戦を終えて、もうすぐ76年が経つ。もう早いもので戦前の匂いを知っている者は少しずつ減っている。

 

もはや敗戦やGHQは過去のことで、われわれ日本人は今やGDP世界三位で、科学を理解し世界に認められるものづくり大国ニッポンと思っているのではないかということだ。

 

確かにそれは一見間違いではないだろう。日本人は明治以来から西洋科学を吸収し、G5に選ばれるほどの強国になったと。

 

しかし表面的にはそうでも、今の日本人に中身までしっかりしたものが出来ているだろうか。

 

僕は提言したい。今の日本人はアメリカの影響を受けすぎて、日本人らしさというのを忘れていないかということを。

 

確かに明治以来日本人は西洋列強に追いつこうと見よう見まねで西洋文化を取り入れてきた。

日本帝国憲法や、専制君主制、郵便など日本にいままでなかった新たな制度を導入し西洋列強に負けず劣らずに近代化に成功した……と思われている。

 

科学技術の発達に関してはまぁ及第点であろう。それにあの脅威的だった当時のロシアにもぎりぎりとはいえ戦争にも勝ったのだから。

 

しかしそれならなぜ日本は第二次世界大戦で負けてしまったのだろうか。

 

まあ原因はさまざまあろうが、とにかく今回ここで僕が言いたいのは「日本人らしい近代化(西洋技術)」がまだ出来てなかったからではないだろうか。

 

一体どういうことだろうか。

 

和辻哲郎は『日本倫理思想史(一)』でこういうことを言っている。(以下要約)

 

日本の古代の人達は「私」を捨てて「公」に奉ずるところに、清さの価値を見いだした。なぜならば天皇崇拝によって「清き心」を把握したのだからだ。この伝統はその後の日本の倫理思想の潮流の中に力強く生きている。

専制君主はおのれの「私」によって統治し、従って「私」によって罰する者だと。

ここでの「私」というのは力による権力的統一で、「公」というのは祭祀による権威的統率だ。

 

本来日本人というのは天皇を崇拝し、「私」を捨てて「公」を大切にする民族であると。

(ここで注意してほしいのは、別に僕は天皇を崇めろとかそういうことを書いたのではない。)

しかし明治人は列強になるために、突貫工事のように急いで西洋の真似をして天皇専制君主にしたのだ。これはまずかったのではないかと思う。

日本らしさを捨てて、ただ強い真似(西洋)をしてしまったのだから。

 

もちろんあの時は敵(アメリカ)も研究しなかったし、己(日本)に対しても研究を怠っていたから負けるのは当然なのだが……。

 

まあ、専制君主制にしなかったら日本は戦争に勝てたのかかどうかと問われれば、それは実際分からない。しかし日本には合わない「私」的な専制君主制ではなく、日本人らしい「公」的な君主制のままであれば、力による権力的統一はしようとしなかっただろう。

 

 

われわれ日本人は明治から今日に至るまで日本人らしさを見失っているのではないかと思う。

もちろんこれから日本が発達するために科学技術は大事だ。これからも理学を大切にしないといけない。しかし西洋の真似だけしても文化の違いなどで単なる物質主義に侵されず、日本人らしさを忘れないようにしてほしい。

 

 

初めまして

初めて「はてなブログ」さんで投稿します佐古昭博です。

日本とは何か、日本人とは何かを自分なりの思いをさまざまな知見を得ながら、ここで綴っていこうと思います。

読んで共感していただければ幸いです。

また「小説家になろう」に執筆もしているので宜しくお願いします。