甲子園と日本人のココロ
8月9日から今年の全国高校野球が始まった。高校生の白熱した試合を見て、一度は熱くなったことはあるだろう。
ボールが飛んでくる方向を常に予測するバッター、全体を把握し頭脳を張り巡らすキャッチャー、暑い炎天下の中で精密機械のようにボールをコントロールするピッチャー、ボールがたとえ届かないところでもあきらめず手を伸ばす守備、ぎりぎりでも塁へ走り込むランナー……。
若き血潮がみなぎって戦うその少年達の勇姿に観客席やテレビで見ている者も熱くなる。そんな甲子園から数多くの名プロ野球選手を生んだ。
そしてそんな熱い試合をする高校野球で実は日本独自の思想があるのはご存じだろうか。
あるアメリカの映像監督によると、日本の高校野球には「統一感」と「素直さ」があったそうだ。特に「統一感」は圧倒的だったという。一体どういうことだろうか。
日本の高校野球というのはチーム一丸となって戦う。そんなの当たり前と思われるかもしれない。しかしアメリカは違うらしい。
アメリカの高校野球は才能や個性を重視する社会なのだそうだ。「あいつに勝って4番になるぞ」といったいわゆる競争社会である。
確かに日本の高校野球の球児にも「あいつに勝って4番になる」という気持ちはあることだろう。しかし日本はどちらかと言えば、個人よりも集団としてチームを良くすることを重点に置くのだ。
この精神はまさに「私」を捨てた「公」に尽くすそのものである。
日本社会もその構造を持っている。これは古代日本から続く日本の倫理思想なのだ。つまり昔からの日本人のココロである。
従って「統一感」という日本社会と同じように集団でチームをより良くしようとする高校野球の思想は日本のココロそのものなのだ。
本論では「素直さ」について割愛したが、この考察はまたの機会にしよう。