佐古昭博の徒然’sブログ

“日本人とは何か”を探究するブログです

社会人になっても好きなスポーツをやる意義

今週のお題「好きなスポーツ」


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少年時代はよく部活に明け暮れたものだ。僕は中学では剣道、高校では弓道をした。

しかしこれが社会人になるとパタッとスポーツをしなくなる。社会人野球、社会人バスケなんてのはあるが、そういうのは会社全体のごく一部に過ぎなくなる。

なぜ会社ではほとんどいわゆる実業団をしなくなるのかというと、やはり会社員がスポーツをする上で会社側に様々な費用がかさむというのが最大の理由であろう。

備品の購入やコーチの資金は会社が負担するものだ。

それにインフレの根幹会社がインフレには直接関係のないスポーツを運営する必要性はどこにもない。

では逆に社会に出るとほぼ必要でなくなるにも関わらず、なぜ学生時代には部活動があるのか。それを少し確認したい。

学習指導要領の部活動の内容によると、「スポーツや文化及び科学等に親しませ、学習意欲の向上や責任感、連帯感の涵養等に資するものであり、学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること」を明記されている。

つまり学校で部活動をする必要性として、スポーツや文化及び科学等に親しませ、学習意欲の向上責任感連帯感の涵養等に資するものだからだ。

これは社会に出ても必要なものではないか。

いや確かに学生時代を思い出してみると、名門大学に行くために部活をせず勉強のみの子もちろんいた。しかしそれは少数の印象だった。それよりも勉強出来る学生は大概部活動もよく励んだものだ。

逆に部活動に入っていない子は学力も低いイメージまであった。

それに部活動による友達付き合いも増え、大会の団体戦で連帯感も付いたものだ。

つまり社会人の傍らにスポーツをするのは働く上で非常に大切であるのではないかと思う訳だ。

しかし嫌いなスポーツをしても仕方がない。やはり好きなスポーツをする。そうすればスポーツでのモチベーションは上がり、仕事のモチベーションも上がるだろう。

だから加えて会社側が会社の一環で学校の部活動のような様々なスポーツを出来るようにすると提案して欲しいぐらいに僕は好きなスポーツをする意義があると思うのだ。

 

会社側はもう一度スポーツの意義というものを考えてみても良いのではないかと思う。