これからの自然との向き合い方~西洋思想のみでは駄目な理由~
昨今の温暖化の影響で、線状降水帯が起き、集中豪雨による土砂災害などの自然災害が多発している。
また台風の威力が以前より増して、日本に東北など緯度の高い地域に北上するのも温暖化の影響だろう。
これは科学技術の進歩による弊害とみて間違いないと思われる。
ではいつからそのようなことがあったのかというと、実は昔から存在した。
産業革命により早く科学技術が発達した英国では19世紀ごろから20世紀の中ごろまで石炭から出る煙やすすによる大気汚染の影響で、霧の都と呼ばれる時代があったのだ。
このように科学技術が発達してから、自然破壊による自然災害は今の今まで続いている。
やはりこれは科学技術の根底の考え方である西洋思想による人間・自然との切り離し、人間による自然支配が原因だ。
確かに人間と自然をしっかりと切り離して、自然を客観視(観察)するような考え方は自然科学を研究する上で重要な考え方だ。
しかしこれだけでは科学技術の発達により、自然破壊を免れない。では他に一体どんな考え方があるのだろうか。そこで日本人古来からの考え方を提案する。
古来の日本人の考え方では自然を畏怖すると同時に一つの魂を持った生命体という考え方があった。そして自然、特に植物に対して友そのものの認識があったそうだ。
要するに“自然と友達”である。
普段人は自分の友達に対して大切に仲良くするならいざ知らず、支配するなんて考えないはずだ。
それだと友達ではなく一種の家来だ。
そうではなく自然を正しい意味での“友達”のように接する。つまり自然との調和である。今風に言えば共生だろうか。
この考え方を自然を客観的に見るのと同時に並列して持つべきではないか、そう思うのである。
共生というのは最近の考え方のようで、日本では古来からある考え方なのだ。
いまや世界の科学技術の発達により、自然災害の規模が大きくなっている。そしてこれからも自然と共生する対策をしなければ、続いていくことだろう。
世界のどこの国かでそれに歯止めをかけ始めなければならない。最初から世界が動くとは思えないので、名だたる国がしないといけない。とはいえ、どこの国がするだろうか。米国だろうか、英国だろうか。
いや、やはりまずは自然との調和の考えを古くから持っている日本から動き出すべきではないだろうか。そしてその先駆的な対策を世界に示していくべきだろう。
小さなことをコツコツとである。
いつか自然破壊により自然が人間を滅ぼす日がくるのではないか、そういう心配が筆者はあるのではないかと気にしてならない。